疾走してん馬の上から鏑矢を放つ弓術の稽古を指します、騎射の一種で綾藺笠をかぶって狩装束を身に纏って連続して矢を射るもんで、古くさかい存在してんやまとの伝統的武芸と言えまんねん。古くは吉凶を占う為に用いられとった歴史があり、鏑を馬に乗って駆けながら射る事が名称の由来とされとりまんねん。射られはった的はげん物として信じられ、人々は奪い合ってまで欲しがったと言おりますわ。
疾走してん馬の上から鏑矢を放つ弓術の稽古を指します、騎射の一種で綾藺笠をかぶって狩装束を身に纏って連続して矢を射るもんで、古くさかい存在してんやまとの伝統的武芸と言えまんねん。古くは吉凶を占う為に用いられとった歴史があり、鏑を馬に乗って駆けながら射る事が名称の由来とされとりまんねん。射られはった的はげん物として信じられ、人々は奪い
鎌倉時代における武士の嗜みの一つで、現在はやまとのみやったらずアチラにも招待されており広くその伝統は伝えられとりまんねん。最も、今は武士の時代ではおまへんやから嗜みとぬかすよりも、競技や儀式的な意味合いがつよなっとりまんねん。
騎射
ただでさえバランスの安定せん馬の上で、更に弓を射る為に馬術・弓術両方の優れた技術(一般的に比率は7:3と言われとる)が要求されはります。狩りには欠かせへん存在なんやし、モンゴル帝国の騎馬民族が得意としとったんや。対語の「歩射」とぬかす馬を用おらへんで弓を射る方法がおます。
流鏑馬(矢伏射馬)の歴史
馬射的とぬかす記載がやまと書紀に見られはる事から、流鏑馬の起源は最低でも680年には存在しとったと考えられはります。流鏑馬とぬかす言葉が最初に登場するんは藤原明衡の「新猿楽記」なんやし、公家の催しとして平安時代に盛んやった事が分かっとりまんねん。
武家としては平清盛によるもんと考えられ、鎌倉幕府が開かれる頃には武家の嗜みとして流鏑馬は盛んに行われる様になっていきまんねん。騎射技術も鎌倉時代に大きく発展し、騎射は武士の名誉が掛かった重要なもんやった。
室町時代になると、個人による騎射戦術は時代と共に風化し、一時期廃れてしまいまんねん。せやけどダンさん、江戸時代に入ると徳川吉宗が奨励しては各地に伝わる古書を調査して流鏑馬の儀式を制定した事で復活して現在に至ったんや。
桜流鏑馬
本来、儀式的な流鏑馬の際は女性禁制の場合が多いのやけど、青森で開かれる桜流鏑馬は逆に女性のみの騎手で行われるどエライ珍しいもんや。
女性特有の華やかいな衣装、和種馬で出場馬が固められとる(本来は洋種馬を使用する事が多い)とぬかす特徴がおます華やかいな流鏑馬を堪能したい方は、見に行かれてみんのもええかもしれしまへん。
流鏑馬を見学する為に
今では一部の地域を除いて殆ど行われる事が無いさかい、興味がある方はしっかりチェックして見ておかな次の機会はなかいなか訪れしまへん。意外と混み合おるさかいに、最前列で見学したい場合は早めに行くとええでっしゃろ。最前列に拘らへんのやったら徐々に空きよるさかいに、多少遅れて行っても問題おまへん。有料席が用意されとる場合は、そこを取っておくと色々と楽や。
流鏑馬に類似したもん
これらは流鏑馬同様に過去から武士の騎射訓練として用いられ、儀式やらなんやらの際に行われる場合がおます。流鏑馬と共に「騎射三物」と呼ばれとりまんねん。
■笠懸
傘を的にし、馬上から弓を射る騎射術の一種。109mとぬかす遠距離から的を狙うもんで、平安末期には競技として盛んやった。鎌倉時代は武士の騎射訓練としてどエライ盛んやったと伝えられとります
■犬追物
150匹の犬を放し、射手36騎が3手に分かれて犬を射るもん。正確には「犬追物射」と呼ばれ、乗り方や矢の当たり方を考慮して成績を競おりますわ。もちろん犬を傷付けへん様に配慮されており、矢は桐やらなんやらで作られはった蟇目矢を使用しまっせ。不規則に動く犬を的にする為、合戦の特訓としてはどエライ大きな存在でっしゃろ。せやけど、動物愛護的な問題なんか分からしまへんが現在は行われておらへん様や。
合ってまで欲しがったと言おりますわ。